隠蔽

 

私は、どうも隠し事が多いようです。

なかなか、自分の素のままの姿を、

人に見せることには、抵抗を感じていて、

それで、結構、苦しい思いを、していました。

 

先日のブログでも、書いたのですが、

私は、コンビニでバイトしながら、

詩人の創作活動を、していたことを、

あまり人には、自分からは話さなかったし

、話したくなかったんです。

 

プロとして、創作活動をしている人であると、

思ってほしかった、という

見栄や体裁が、そういう行動となって

あらわれていたんです。

 

ただ、もうひとつだけ、

話したくなかった理由が

ありました。

 

私が、かつて詩人として、

イベント出店して、書き下ろしをしたり、

作品展の会場にいるとき

必ず帽子をかぶって、人前に出ていました。

 

お洒落として、自己演出として、帽子を着用していたのですが、

そればかりではなく、

自分の禿げている頭を隠していたかったのです。

 

その頃の私といえば、どこに行くにも

帽子をかぶっていたし、

フェイスブックにあげる写真でも必ず帽子をかぶっていました。

 

ただ、コンビニのバイトを、しているときだけは、

流石に帽子をかぶるわけにもいかず、

勤務している時間の間だけは、

帽子を脱いだ状態でいるわけです。

 

その姿を、イベントや、作品展などに

来てくださったお客様や、出会ったお知り合いの方などに

見られたくなかったのです。

 

以上の理由で、私は、コンビニでバイトしていることを

隠し続け、人前では、帽子を、絶対とらないという

日々を、過ごしていました。

 

隠せば隠すほど、滑稽であると、内心では

わかっていても。

 

 

隠すことをやめてしまえば、

ほんとうに生きていて楽に、過ごせるのに、

そんなことよりも、

恥ずかしいとか、カッコ悪いとか

そういう思いをするのがいやだという

気持ちが、勝っていたのです。

 恥ずかしいとかカッコ悪いとかいうのは、

すべて、自分の思い込みであるのにもかかわらず。

 

 

 

 

 

今でこそは、帽子を、人前で堂々と脱ぐことが

できるようになりましが、

これも、美子と結婚して生きていく中で、やはり

美子に隠し事を、することはできないし、

隠し事などすることに、

何の得もないことに気づいていったからだろうと思います。

 

こんなにも、素の自分であること

それを、臆面なくさらけ出すこと、

それが、どんなに生きやすいかということが

わかってきました。

 

まあ、そうはいっても、ほんとにはわかっていないかもしれません。

頭で、わかっているだけで、

いざ、それを行動に移そうとすると、

どうしても、まごついてしまう私がいます。

 

ただ、私は、思うのです。

ポートレート撮影をしていて、

戸惑いながらも、カメラの前で、

素の自分をさらけ出していく人たちの姿を見て、

それが、どんなに美しくて魅力的なんだろうかと。

 

素の自分であることが、こんなにも最高であると。

 

私も、慣れないながらも、素の自分でありたいと、思うのです。 

 

 

 

 

∞ 

 

 

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